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Channel: 最新の治療法など、地元の医療情報を提供する「メディカルはこだて」の編集長雑記。
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透析を止めた日

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医療ノンフィクションとしては異例のベストセラーになっている「透析を止めた日」(講談社)の読後感は重たくも爽快だった。多くの人が絶賛しているのは当たり前だろう。
腎臓は体内の水分やミネラルのバランスを保ち、体内で発生する老廃物を尿中に捨て、骨を健康に保つホルモンや、貧血を改善するホルモンを産生している重要な臓器である。この臓器の機能が低下し(腎不全)、進行すると尿毒症と言われる状態になり、命の危険が及ぶこともある。これに対する根本的な治療は腎移植だが、移植以外の治療手段として一般的に行われているのが血液透析と腹膜透析の透析療法となる。
「透析を止めた日」の著者でノンフィクション作家の堀川惠子さんの夫は、元NHKプロデューサーの林新(あらた)氏。かつては堀川さんの仕事上のライバルでもあった。林さんは多発性嚢胞腎(のうほうじん)を発症し、38歳から12年間、激務の間に血液透析を受け続けてきたが、母親からの腎移植で9年間透析を免れる。しかし59歳のとき再び血液透析に戻り、病状が悪化。命をつなぐための透析が、林さんの身体を芯から痛みつけた。


「透析を止めた日」 堀川惠子著

亡くなる17日前。透析を終えた林さんは主治医の回診を待ち構えていた。「先生、もう、透析はいいです。そろそろ楽になりたい」。そして亡くなる前の7日間の痛みと苦しみは壮絶だ、「私は仕事柄、死の現場がいかに厳しいものかは理解しているつもりだ。だが、もう数日で死ぬと分かっている患者を、とことん苦しませたうえでしか対処できないと言うのなら、緩和ケアは何のためにあるのだろう。林はベッドの上で身動きもできず、ただ唸りながら痛みに耐えている。これはひとつの人生の幕を下ろすために、本当に必要な痛みなのか。私はこのときほど、安楽死の実現を心から望んだことはない」 
「夜になると足先の痛みがどんどん増していた。足の指先が黒ずんで壊疽が進み、肉が腐るような強烈な臭いが室内に漂い始めた。『人生で、こんなに痛いことはなかったほど痛いよ』。林は声にならぬ声で訴えた。林は人生最大の苦痛に悶絶し、私は人生最大の心の痛みに慟哭した、この晩は、文字通り生き地獄だった」
日本透析医学会によると、2022年末の透析患者数は全国で34万7474人(北海道は1万6267人)。透析患者には手厚い医療制度が用意され、福祉制度の面でも優遇されている。透析の医療費の総額は年間1兆6000億円という巨大な医療ビジネス市場が形成されているが、そのビジネス市場から外れる「透析を止める」という選択肢の先には、まともな出口が用意されていないと堀川さんは言う。
「体調が悪化し、座位を保てなくなって通院ができなくなると、患者は頼みの綱だった透析クリニックから切り離される。透析の中止によって引き起こされる症状は尿毒症をはじめ多岐にわたるが、その苦痛は溺れるような苦しみとも言われ、筆舌に尽くしがたい。突然死でない限り、透析患者の死は酷い苦しみを伴う。当然、緩和ケアの必要性が問われるところだ」。しかし、日本の緩和ケアの対象は保険診療上、がん、後天性免疫不全症候群(エイズ)、末期心不全に限定されている。
「死が目前に差し迫る透析患者であっても、ホスピスに入ることはできない。患者も、家族も緩和ケアの現場から見放されている。W HO(世界保健機関)は、病の種類を問わず、終末期のあらゆる患者に緩和ケアを受ける権利を説いているが、日本ではそうなっていない。世界的に見ても、異例の状態が続いている」
本書は堀川さんが透析患者の、ことに終末期に生じる問題について、患者の家族の立場から思索を深め、国の医療政策に小さな一石を投じようとするものだ。本書の前半は堀川さんが林さんのそばでリアルタイムで綴った記録と病院のカルテとを付き合わせながら詳細を書き記した。これから透析をする可能性がある人、すでに透析を受けている人、腎臓移植をした人、透析を終える時期が見えてきた人、その家族や関係者には大いに参考になるはずだ。後半では終末期の透析患者をめぐる諸問題について、学会に足を運び、優れた医療を実践している医師を訪ね歩きながら、今後のあるべき透析医療のかたちを展望する。
文章力に脱帽した。堀川さんは、広島テレビの記者やデスクを経てフリーとしてドキュメンタリー制作やノンフィクション執筆に取り組んできた。死刑制度をテーマにした作品、「死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの」で講談社ノンフィクション賞、「裁かれた命 死刑囚から届いた手紙」で新潮ドキュメント賞。また引き取り手のない原爆犠牲者の遺骨約7万柱がまつられた広島の平和記念公園の原爆供養塔に光を当てた「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するなどノンフィクション三賞すべてを異なる作品で受賞している。
今年2月17日、衆議院第二議員会館では上川陽子元外務大臣らが呼びかけ人となり、「腎疾患を軸に医療の未来を拓く会」の第1回会合が開かれた。透析患者の終末期における最期の意思決定や治療を中止した後の痛みのケアのあり方などに関して、意見交換が初めて行われたが、会合では堀川さんが自身の経験を語った。堀川さんが世に送り出した1冊が終末期の透析患者が安心して命を閉じられる第一歩となってほしい。


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