「養老先生、がんになる」は、養老孟司さんと中川恵一さんの共著。心筋梗塞から奇跡の生還を遂げた養老先生が、がんになった。養老先生は東大医学部卒の解剖学者。『バカの壁』が大ヒットし、450万部超えのベストセラーとなった。中川先生は東大医学部卒後、同大学医学部放射線医学教室入局。現在は東京大学大学院医学系研究科特任教授。
本書は、教え子で自らもがんを体験した中川先生が、養老先生のがんについてくわしく解説。もうすぐ87歳になる養老先生が、がんと闘いながら自らの老いと向き合ったシリーズ最新刊だ。また、担当医である岩崎美香医師のコメントや、娘の養老暁花さんも登場する。
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「養老先生、がんになる」 養老孟司・中川恵一著
養老先生の体の異変に最初に気付いたのは娘の暁花さんだった。鍼灸師の暁花さんは実家に帰ったときは、よく両親に施術をしていたが、養老先生は2023年のはじめ頃から、右肩が痛いと訴えていた。養老先生は「五十肩だろう」と言っていたが、暁花さんが整形外科的な徒手検査を行ってみたところ、どれも該当しなかった。暁花さんのマッサージで少しはよくなったが、2023年の秋頃から痛みが肩だけではなく背中全体に広がってきた。
「このような場合、疑われるのは内臓疾患です。痛む部位から考えると、肺が怪しいと思いました。実際に背中を見ると、肩甲骨の間が少し黒ずんでいます。普通の人ならわからないくらいの黒ずみですが、私にははっきりとわかりました。しかも黒ずんだエリアの前後がポコンと陥凹(かんおう)していて、その真ん中が黒く固まっています。触っても何かあるのがわかるので、肺に異変があると考えざるをえないのです」
かたくなに「めんどうくさい」「そんなのは嫌だ」と、検査を嫌がり、どうしても受診してくれない養老先生だったが、暁花さんは本人の了承を得ずに中川先生に直接、電話して、事情を話した。養老先生はしぶしぶ東大病院の呼吸器内科を受診することになった。「検査の結果、背中の痛みは、がんが背中側の肋骨に浸潤していたことによるものでした。それがなければ痛みが出なかったわけで、がんがもっと進行していた可能性もありました。痛みで気付けたのは、不幸中の幸いだったと思います」
2024年5月16日、養老先生の病名はタバコが主な原因である「小細胞肺がん」と診断された。中川先生は「ヘビースモーカーとして知られる養老先生のことですから、当然そのリスクは予想できましたが、4年前の入院時に撮った肺のCT画像には肺がんは認められなかった」という。養老先生は3カ月に1回、東大病院で定期検診を受けていた。「そのときに肺のCT画像を撮っていれば、もっと早く見つかった可能性もありますが、予防的な治療や検査はしない性格なので、それをすすめても、やらなかったはずです」
小細胞肺がんの標準治療は抗がん剤と放射線。「養老先生は、体に負担のかかる治療に対してもやりたがらない性格なので、果たして、抗がん剤治療を受け入れてくれるかどうかも疑問でしたが、今回はつらい検査も抗がん剤もすんなり受け入れてくれたのです」。その理由や1回目の抗がん剤治療を終えて、退院するまでの紆余曲折については本書を読んでください。
がんの治療は時間がかかる。本書は4月末に肺がんが発見されてから、抗がん剤の途中までの約3カ月間について、養老先生と中川先生の二人でどんなことがあったのかをまとめたものだ。中川先生は「興味深いのは、養老先生の病院嫌いに少し変化が現れたことと、文句ばかり言っていた東大病院の評価が変わってきたこと。養老先生の医療に対する考え方の変化も本書の読みどころの一つとなっている」と紹介する。
本書は、教え子で自らもがんを体験した中川先生が、養老先生のがんについてくわしく解説。もうすぐ87歳になる養老先生が、がんと闘いながら自らの老いと向き合ったシリーズ最新刊だ。また、担当医である岩崎美香医師のコメントや、娘の養老暁花さんも登場する。

「養老先生、がんになる」 養老孟司・中川恵一著
養老先生の体の異変に最初に気付いたのは娘の暁花さんだった。鍼灸師の暁花さんは実家に帰ったときは、よく両親に施術をしていたが、養老先生は2023年のはじめ頃から、右肩が痛いと訴えていた。養老先生は「五十肩だろう」と言っていたが、暁花さんが整形外科的な徒手検査を行ってみたところ、どれも該当しなかった。暁花さんのマッサージで少しはよくなったが、2023年の秋頃から痛みが肩だけではなく背中全体に広がってきた。
「このような場合、疑われるのは内臓疾患です。痛む部位から考えると、肺が怪しいと思いました。実際に背中を見ると、肩甲骨の間が少し黒ずんでいます。普通の人ならわからないくらいの黒ずみですが、私にははっきりとわかりました。しかも黒ずんだエリアの前後がポコンと陥凹(かんおう)していて、その真ん中が黒く固まっています。触っても何かあるのがわかるので、肺に異変があると考えざるをえないのです」
かたくなに「めんどうくさい」「そんなのは嫌だ」と、検査を嫌がり、どうしても受診してくれない養老先生だったが、暁花さんは本人の了承を得ずに中川先生に直接、電話して、事情を話した。養老先生はしぶしぶ東大病院の呼吸器内科を受診することになった。「検査の結果、背中の痛みは、がんが背中側の肋骨に浸潤していたことによるものでした。それがなければ痛みが出なかったわけで、がんがもっと進行していた可能性もありました。痛みで気付けたのは、不幸中の幸いだったと思います」
2024年5月16日、養老先生の病名はタバコが主な原因である「小細胞肺がん」と診断された。中川先生は「ヘビースモーカーとして知られる養老先生のことですから、当然そのリスクは予想できましたが、4年前の入院時に撮った肺のCT画像には肺がんは認められなかった」という。養老先生は3カ月に1回、東大病院で定期検診を受けていた。「そのときに肺のCT画像を撮っていれば、もっと早く見つかった可能性もありますが、予防的な治療や検査はしない性格なので、それをすすめても、やらなかったはずです」
小細胞肺がんの標準治療は抗がん剤と放射線。「養老先生は、体に負担のかかる治療に対してもやりたがらない性格なので、果たして、抗がん剤治療を受け入れてくれるかどうかも疑問でしたが、今回はつらい検査も抗がん剤もすんなり受け入れてくれたのです」。その理由や1回目の抗がん剤治療を終えて、退院するまでの紆余曲折については本書を読んでください。
がんの治療は時間がかかる。本書は4月末に肺がんが発見されてから、抗がん剤の途中までの約3カ月間について、養老先生と中川先生の二人でどんなことがあったのかをまとめたものだ。中川先生は「興味深いのは、養老先生の病院嫌いに少し変化が現れたことと、文句ばかり言っていた東大病院の評価が変わってきたこと。養老先生の医療に対する考え方の変化も本書の読みどころの一つとなっている」と紹介する。